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2010.05.22 Sat
少し長めなので、お時間がある時にどうぞ。
唯梓SS
【いつもと違うあなた】
「うはぁ~ムギちゃんのお菓子はおいしいねぇ♪」
そう言うと唯先輩は幸せそうなため息を出した。
先輩は、目を瞑って頬が落ちるとでも言うように頬に両手を当てている。
口は半開きで少しヨダレが垂れていた。
その顔を漫画に例えると、目は(=)で口は(q)である。全体図で(=q=)←こんな感じだ。
(すごいだらけた顔…)
私は、そんなだらしない顔をしている唯先輩をじとーっと呆れながら見つめ、自分の目の前に置いてあるお菓子に視線を戻す。
確かにムギ先輩の持ってくるお菓子はおいしい。
今日はお菓子はシンプルな「苺のショートケーキ」だ。
苺の甘酸っぱい酸味が、甘すぎない生クリームをうまく惹きたてている。上品な大人の味だ。
スポンジもふわふわで、間に挟まれている苺と一緒に口の中に入れると、ほろっと舌の上で溶けてしまう。
私も食べた瞬間思わず「おいしいっ!」と叫びそうになったものだから、唯先輩がこんなになるのも無理はないだろう。
「ふふふっ、喜んでもらえて嬉しいわ♪」
ティーポットにお湯を注ぎながらムギ先輩は微笑む。
「ほんと美味しいな。これ!」
律先輩も目を輝かせながらケーキを食べる事に奮闘している。
そんな中、澪先輩は紅茶を飲みながら静かに音楽雑誌を読んでいるみたいだった。
「おいし~おいし~!もぐもぐもっぐ…ごふっ!」
咽た声に、皆一斉に唯先輩の方を見る。
先輩は喉を押さえて、苦しそうに胸をトントン叩いている。ケーキを喉に詰まらせたのだろう。
「唯ちゃん大丈夫!?」
すかさずムギ先輩が唯先輩に水を差し出す。
「ごくっごくっごっ………ぷはぁ~苦しかったぁ~。ありがとームギちゃん♪」
唯先輩は受け取った水を一気飲みすると落ち着いたみたいで、ニッコリとムギ先輩にお礼を言う。
「どういたしまして♪紅茶のおかわりもあるから沢山飲んでね?」
「わあーい!おかわりー!」
「ずるいぞ唯!私もおかわりー!」
いきなり唯先輩と律先輩の変な競いが始まった。
2人して紅茶をガブ飲みし、どちらが早く飲めるか競争している。
ムギ先輩はそんな2人をニコニコしながら眺めていて、澪先輩は何事もなかったようにまた雑誌を読み始めた。
(はぁ…幼稚すぎる)
私はそんな先輩達を呆れた目で見てしまう。
唯先輩も澪先輩ぐらい大人になって欲しいものだ。
「梓ちゃんも、おかわりいかが?」
先輩達の競争を冷ややかな目で見ていたら、ムギ先輩がティーポットを持ちながら私に話しかけてきた。
「あ…はい、いただきます」
私はカップの中に少し残っていた紅茶をこくっと飲み干し、ムギ先輩にカップを渡す。
底の方に残っていた紅茶は、沈んだ砂糖により粘ついていたみたいで、舌に纏わり付いてきた。
私は舌の粘つきに少し不快感を感じていると、騒がしかった声が消えている事に気付く。
どうやら先輩達は競争に飽きたみたいで、まただらーんとお菓子を食べていた。
「むふふ~っ」
唯先輩は口の周りにいっぱいクリームがつけながら変な声を出している。
「……はぁ…」
そんな先輩を見て、私は今日何度目かわからないため息を付いた。
☆
次の日!
私は急いでいた。
「はっ、はっ、はっ」
髪が乱れるのも気にせず、私は全速力で走る。
今日に限って目覚ましが鳴らなくて寝坊してしまったのだ。
(なんっ、で、ならっ、なか、った、、、のーーー!?)
今更目覚まし時計を恨んでも仕方ない。
遅刻なんてしてしまったら、優等生で通っている私のプライドが傷つく。
そんな失態は断固阻止しなくてはならない。絶対にだ。
私は携帯で時間をこまめに確認しながら、前をあまり見ずに走っていた。
「きゃっ!…!ッ!」
視界も定まらないまま走っていたがために、足に何かが突っかかる。
私は地球の重力に逆らうことが出来ず、体が前のめりに倒れていくのがはっきりと頭の中で理解できた。
いくら頭で理解出来ていても、もうどうしようもない。
私は次に来るであろう衝撃に備えるため、目をギュッと瞑る――――
(………)
いくら待っても想像していた痛みがこない。それどころか気持ちよくて良い匂いがする。
おかしいと思い目を開けると、私の体は誰かの体にすっぽりと抱き抱えられていた。
「大丈夫?あずにゃん」
「……えっ……唯、先輩?」
そのほんわかした声から、その誰かが唯先輩だと私は気づく。
(転びそうになったところを、唯先輩が助けてくれたんだ)
「も~驚いたよ~?あずにゃん後ろからいきなり走ってきて転びそうになるんだもん。気をつけなきゃあぶないよ?」
「ご、ごめんなさい。急いでたんです」
「確かにこんな遅いのも珍しいね~。どうしたの?」
ただ寝坊した、なんて話すのはなんだか恥ずかしい。私は話を逸らすため、唯先輩の顔を見る。
そこで先輩の異変に気づく。
(…んー?なんか…)
何かいつもと違う気がする。
(………あ、ヘアピンだ)
そう、いつも付けている2つの黄色いヘアピンが髪に付いてないのだ。
「先輩、いつも付けてるヘアピンどうしたんですか?」
「あ~。昨日お風呂入った時、風呂場に置いたままにしちゃってサビついちゃったんだ~」
そう言いながら先輩はいつもヘアピンが付いてる部分の前髪をちょいちょいと手櫛でとかす。
ヘアピンで止めてないせいか、先輩の前髪は目に少し掛かっていて、ミステリアスな雰囲気を出している。
そんないつもより大人っぽい先輩に、私はぽーっと見惚れてしまった。
「……………」
「どしたのあずにゃん。そんなに見つめられると恥ずかしいよぉ~」
そう言いながら先輩は私の顔を覗き込む。
少し長い前髪の隙間から隠れ見える瞳は、とても綺麗で。
私はそんな先輩にうっとりとしてしまい、先輩の声が聞こえなくなっていた。
まだ抱き受け止められていた私は、無意識に腕を先輩の背中にまわす。
すると先輩は、背中にまわしていた腕を腰まで下ろし、私の体をもっと引き寄せた。
抱き合ったままどれくらい時間が経ったのだろう。10分、5分、いやもしかしたら1分だったのかもしれない。
私はいつまでも先輩の胸に顔を埋めていた――――
キーーーーンコーーーーンカーーーンコーーーーン
「あ、遅刻だ」
「………え゛!?」
先輩の声に私はハッと我に返る。
というかこの状況は一体何事だ。
まるで恋人同士の様に抱き合っている先輩と私。
(こんな公共の場で抱き合って何してるんだ私たちは!)
急に恥ずかしくなった私は、先輩の胸の中でモゾモゾと動く。
「た、助けてくださってありがとうございました!もう大丈夫ですから、は、離れて下さい!」
「あ、そだね~」
あっさりと離される先輩の体。
先輩のぬくもりが無くなった寂しさから、私は「あっ‥」と切ない声を出してしまう。
そんな私の声に気づいた先輩は、ふっと妖麗な笑みを見せると、私の耳元に顔を近付け低い声で囁いた。
「‥続きは放課後、ね?――」
☆
次に気がついた時には、私はいつの間にか自分の席に座っていた。
どうやってここまで辿り着いたのか、まったく覚えていない。というかもうお昼も過ぎホームルームだ。
純にお昼中の私について聞いてみたら別に普通だったと言う。
ノートも全教科執っている事から、一応勉強をする意識はあったのだと思う。さすが根は真面目な私。
(どこから記憶が飛んでるんだっけ…)
私は今日の朝からの記憶を振り返る。
朝、目覚まし時計のせいで寝坊して、遅刻しそうになって、急いで走ってたら転びそうになって、でも転ばなくて、そこには―――
「唯先輩?」
純がコソッと私に喋りかける。
「………そう!そこには唯先輩が」
唯先輩が転びそうになった私を助けてくれて、それで、それで――
(抱かれて…囁かれて…)
『続きは放課後、ね?』
「そうだった!えっ!もう放課後!?」
「こら。まだホームルーム中ですよ、中野さん」
クラスにドッと笑いが起きる。
大声を出したせいで先生に怒られてしまった。
純がこっちを見てニヤニヤと笑っている。口パクで(ばーか)というおまけつきだ。
(は、恥ずかしい…。くそぅ…純め…)
でもなんで純は唯先輩の事考えてるってわかったんだろう…。
まぁ純は後々シバくとして、私は放課後のことだけを考える。
晴れて全部思い出した私は、一刻も早く部室に向かわねばならない。
私はホームルームが早く終われという思いを込めて、机を貧乏揺すりでガタガタとさせる。
(続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き続き)
一体先輩の言った続きとは何なのか。
その時の私は“続き”という言葉に捕われていて、考える余地もなかった。
☆
ホームルームが終わり、私は早足で両足が絡まりそうになりながら音楽室へと向かう。誤解してもらっては困るが、あくまでも早足である。私は真面目なので廊下を走ったりしないのだ。
廊下のカーブを内側擦れ擦れで曲がり、階段を二段飛ばしで上り、私はついに音楽準備室の前までたどり着く。
(はぁ、はぁ、はぁ、ここに唯先輩が…!続きが……!)
これから起きる事を想像し、私の喉はゴクリと鳴る。
いつまでもここで突っ立っているわけにはいかない。私は決心してゆっくりとドアを開ける。
「こんにちはー…あれ?」
部屋はシーンとしていて誰もいない。まだ先輩、来ていないのだろうか。
私はとりあえず鞄を置こうと思い部屋に入ると、奥の方から誰かがひょこっと顔を出した。
「あ、早かったね。あずにゃん」
「…!唯先輩…はい、急いできました…」
誰も居ないと思っていた私はいきなりの先輩の登場に驚く。それが唯先輩だったから尚更だ。
「ふふっ、額汗かいてるよ?今紅茶入れてる所だから少し座って待っててね?」
そう言われて私は額に手を当てると、急いできたためか少し汗をかいているようだった。ポケットからハンカチを取り出し汗を拭く。
「は、はい……。って…え?」
先輩の発言に耳を疑ってしまった。
(“あの”唯先輩が紅茶を!?ちゃんと淹れれるのかな…)
そんな少し失礼な事を思いながら、私は先輩に言われた通り椅子に腰掛ける。
テーブルを見ると2人分のティーカップとお菓子しか用意されていない。
疑問に思いながら私は準備をしている先輩を見る。
先輩は鼻歌を口ずさみながらヤカンを持ち、ティーポットにお湯を入れていた。
お湯を少し高い位置から注いでいるその手つきは、なんだか手馴れている感じだ。
「後2~3分で出来るからね」
そう言い先輩はティーポットに蓋をする。
紅茶は小時間蒸らして茶葉を開かせてあげないといけない。
こんな事まで知っていたなんて…私は感心する。
「あ、はい。ありがとうございます。それであの…他の皆さんの分は…?」
先輩にさっきから気になっていた事を尋ねる。
もうそろそろ来ても良い時間なのに、いっこうにドアは開く気配がしない。
「あぁ…。今日私以外部活来ないってさ」
「えっ、あ、そうなんですか…」
(なんでだろ?)と一瞬思ったが、まぁ事情があるなら仕方がない。
(今日はギター練習かな~)と考えていると、先輩が白い箱を持って近づいてきた。
「あずにゃん、ケーキどっちがいい?」
そう聞きながら先輩は箱の中からケーキを取り出し、私の目の前に2つ並べる。
今日のお菓子はモンブランとバナナチョコレートケーキの様だ。
「先輩、先に好きな方選んで下さい」
とりあえず「どうぞ」と先輩に譲る。一応目上の人でもある訳だし。
まぁ何より、先輩に好きな方を食べて欲しいという気持ちの方が強いんだけど。
「じゃあ私はこっちにしようかな」
先輩はモンブランを選ぶと、バナナチョコレートケーキを私に渡してくれた。
私は一言「ありがとうございます」と言い受け取る。
「さ、そろそろ紅茶が良い頃だよ。ティータイムにしよう。」
【いつもと違うあなた @後編】に続きます。
| 【いつもと違うあなた】
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